今回大東市への移転に伴い、お客様の声としてインタビューを受けていただきありがとうございます。
萩原さんは、僕が寝屋川で事業を立ち上げてからの全てを知っておられるお客様です。
当施設のほんとうの声を上げるならば、萩原さん以外には居ないと考えていました。
私たちが出会ったのは10年前。整骨院を間借りしている時ですね。
私はずっと腰に違和感や痛みがあり、40代の半ばぐらい、テニスの指導をしながら、無理をして頑張っていました。
51歳の時に今の職場に転勤しました。(萩原さんは今は絶滅危惧種のGreat Teacherです)
前の学校が統合でなくなり、紙切れ一枚で異動になったんです。
ほんと鶴の一声ですよ~。
異動はびっくりしましたが、異動先の生徒はいい子たちばかりで、その子たちの為に頑張りたいと思いました。
しかし、腰の状態が悪く今日は休みたいと思っても、休めない。
生徒への責任が、腰の状態を悪化させることになりました。
その時、帰り際しんどくてしんどくて、一番近くの整骨院に入りました。
その整骨院で治療を続け、2~3回目の治療時に古川先生と出会いました。
営業されている場所を見て驚きましたよ~。
「どこですか?ええ!?ここ???」
学校の保健室のついたてのあるような場所で、畳2畳分もない場所でやられていました。
そこで初めてやったカーフレイズは忘れられません!(笑)
そのせっまいせっまいスペースでのマンツーマントレーニングが始まり、その後はファミリーマンションを改装して、移転することになりました。
改装といいましても、手作りです。
先生の基本。手作りですよね。鏡からマットから全て手作りでした。
どれほど悲観的なことであっても、全てに意味があるんだと考えると、気持ちが前に向くんです。
有り難いことに、常にお金がなかったから、自分でやるしかなかったんです(笑)
望ましくはありませんでしたが、全てに意味はありました。
その時は人目も気にしていましたし、貧乏くさくないかな~?とか、他者と比べて後ろ向きにもなっていました。
しかし、手作りで店を作り続けた経験があったからこそ、大東店のリノベーションを創造出来ました。
誰しもが無理だと思われた時点で、自分には出来るものだと考えているんです。
わたし、頭大丈夫?(笑)
萩原さんは、ほんとうに僕のファーストステップから、地で全て見ておられる方です。
リノベーションも手伝いたかったけど、腰の状態もあり、あのような工事は手伝えませんでした。
マット2枚分のスペースから支えてくださった方々の喜んでいただける顔を想いながら、致死量の肉体労働に挑めました。
ほんと、死ぬかと思った…(笑)
支えて下さりありがとうございます。
豊野町で営業されている時に、たくさんの勉強をされていましたよね。
独身時の時間をフル活用したのです(笑)
しかし、日常的な講習が自身の身になる内容が少なく、膨大な時間を取られることに疑問を覚え始めました。
ある時に思い立ち、全ての資格更新をやめ、今は赤十字の救命救急の資格のみ所持しております。
その後、生駒代表が経営されておられる修斗GYMS直心会の空き時間を間借りして、キックボクシングのグループレッスンも始めました。
スペースの広さが、自身の仕事の幅を広げることにも繋がりました。
間借りして営業している時も、常に移転への物件探しは怠っておりませんでした。
田んぼの中にある藁ぶき屋根の物件を見たりね。
以前の自分は人を頼ることが出来ず、猪突猛進なところがありました。
しかし、たくさんのお客様からの助言により、自身の至らなさを受け入れ、全面でお客様を頼ることが出来ました。
大東市のお店に入った、一番最初の印象を教えて下さい。
むき出しの天井、太い梁。家全体から感じる質感。
100年近いであろう建築物の力。その雰囲気を肌で感じました。
衝撃的でしたが、一片で好きになりましたよ(笑)
小鳥のさえずりからそよ風。地面から出てくる土のにおい。
全てが良いです。
先生がここを選んだ理由がよく分かります。
毎回トレーニングに行く際に、坂を上る時に気持ちが高揚します。
それが理由で、毎回血圧測定時に上がってしまいます(笑)
後々は、駐車場からの道もより清掃して、幻想的な道に仕上げたい。
坂道からが当施設への演出だと考えています。
今後ここでのトレーニングは、どのようにしていきたいですか?
新たなトレーニングも取り入れ、体幹を強くしていく。
どうしても抗えない加齢による筋力低下を抑え、維持し、
80なっても90なっても、命尽きるまでは頑張るぞ!!!
お互いのインタビュー記事のようになってしまいましたが、たくさんのお話しありがとうございました。